クロノクロスのサウンドトラック。十数年前の夏が蘇る。あの頃の友達と部屋、よく着ていたTシャツ、ゲームのコントローラ。色々な季節の思い出があるはずなのに、殆どが夏の事だったように書換えられている。なぜかはわかりません。
雀
仕事の休憩中に同僚と音楽の話をする、楽しい。
好きなものが近いのもあるが、知識だとか姿勢だとかが似ていると感じるから楽しいのだと気づいた。
帰りはぬるいチューハイを飲む。マウンテンバナナのライブ盤。
懲役二秒
ブギ連のレコード。ブルースの良さがいまいち掴めていない、そんなこと思いながら聴いていたけれど。ここ最近好きになってきた。ブルースを理解しよう、感じようとか余計なこと考えていて楽しめなかったみたいだ。
余計なことといえば、気になる事を引きずるのもそうだ。無駄だとわかっているのだけれど、ここ何日かたまに考えてもやもやすることがあり。昇華も消化もできやせず。ブギ連聴いていたらどうでもいいというか、考えても意味ないって感覚を増幅された。考えても意味ない、気になるなら行動あるのみ。行動できないなら放り出しておく。
ブギ連、演奏と歌はもちろんの事、歌詞が好き。「やっとられん」とか最高。わからない、わかろうともせず楽しむってのは冒頭に書いた余計なことの話に通ずるものがあるか。
ろくに行動もしていない癖に常に焦りを感じている、自分の不甲斐なさに。やるべきこととやりたいことのバランス、いやその前になにがやりたいのか。過ぎてしまう時間の中で探り探り、もがいていくしかない。楽しみは忘れずに。
無駄な時間を減らすって二つに分けられると考える。一つは、無駄を切り捨て切り捨て、自分に必要だと思えるものを定めてそこに突っ走っていくようなアプローチ。貪欲で、正直で、ある意味傲慢なやり方。もう一つは無駄だと思える事でもやって、その中に気づきや面白みを発見しようとするアプローチ。誤魔化しもあるし、気を抜いたら埋もれていく、散漫なやり方。
切り捨て型の方が純度が高いし、努力に応じた結果に繋がりやすい。でも、無駄だと切り捨てたものの中に自分を広げてくれる、開かせてくれるものがあるかもしれない。有限の時の中で、何が役立つか役立たないかを決めるのはもちろん重要なこと。だけど、その指針が正しいかどうかなんてわからないし、そもそも正しさを定義できるかすら怪しい。でも周囲を鑑みずに目標に向かうというのは大なり小なり必要なことだから、難しい。
結局バランスなのか。バランス感覚が良い人っていうのはやっぱりいる。要領の良さとかもそうだし、周囲の人ができない部分を補ってくれる、支えてくれるっていう事もそう。自分は周囲に支えてくれる人はいる(多いわけではない)が、要領はかなり悪い。自分自身を磨きたい。考え一つでどうにでもなることもたくさんある。
岡本太郎の本を読んだ後、0秒思考なる本を読んだ。落差でため息が出た。マッキンゼーだのなんだのいちいちうるせえよ。
書いたものを見返すと、乱文だししりすぼみ、結局何が言いてえんだって自分でも思うけれど、すっきりするから書く。